今回は、4番目の「④壷中天あり」について考えてみたいと思います。
【参考記事】【私の基本書】コロナ禍の状況で『①忙中閑あり』(六中観)を考えてみる。
【私の基本書】コロナ禍の状況で『②苦中楽あり』(六中観)を考えてみる。
【私の基本書】コロナ禍の状況で『③死中活あり』(六中観)を考えてみる。
【私の基本書】コロナ禍の状況で『④壷中天あり』(六中観)を考えてみる。
「壷中天あり」の「壷中」とは、つぼの中という意味ですが、中国の寓話で、露店で薬を売っていた老人が、店じまいすると、店頭に置いてあった壷の中に入っていきました。それを目撃していた役人が、ある時その老人に頼み込んで、一緒に壷の中へ連れていってもらいました。狭苦しいと思われた壷の中は、意外にもきらびやかで宮殿のような仙人が住む仙境であったというお話しです。
このことから、どんなに狭く、煩わしい環境であっても、悟り開いた境地に入ってみると、それに煩わせることもなく、悠久で自由なものであると示唆しています。
今の現実、コロナコロナと叫ばれて久しいですが、以前と比べれば息苦しいマスクをしないといけない、食事も少人数で、自由に移動できない等々、大幅な行動制限を余儀なくされています。
これを辛いと考えるかどうかです。確かに自由を奪われてみて、はじめて今までの何気ない自由な生活が如何にありがたいということが実感できたと思います。以前と比較ばかりしていると、ストレスは溜まり焦燥感にかられて息苦しい生活を送ってしまいます。
私自身を振り返ってみると、確かに不自由さも感じて、行動制限も増えました。でもよく考え絵見ると、ひとりで過ごす時間が増えるということは、今までの雑多な些事から解放されると言えます。意外と集中してものごとを考えることができ、頭の中では、今まで以上に自由になっているような気がします。外出しない分、移動の時間も無くなるので、自由な時間が逆に増えました。
必要な打ち合わせ等は、ネットでパソコンで相手の顔の表情を見ながら、パソコンに表示された共有画面を見ながらなので、今まで以上に具体的にパソコンを操作しながらできるので、効率は格段によくなりました。
どんなに煩わしい現実生活の中にあっても、考え方ひとつで随分と別世界で自由に生きることができると感じています。現実を認め、その中に自由な世界を見つけていくことが大事なことだと思います。
それでも、人対人は実際に対面して、お話ししたいものですね。早く収束することを祈っています。
次回は、「⑤意中人あり」について考えてみたいと思います。
今回は以上です。
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